post

創造性のコスト

大学院の管理会計論では、今Grabner and Speckbacher(2016)on AOSを読んでおります。タイトルはCost of Creativityというものでタイトルからして面白いのです。創造性とコントロールのジレンマについてアンケート調査して考えてみたよって論文ですな。

読んでおりますと言っても、受講者は中国からの留学生一人(L君)で英語は苦手かつ日本語もあまり得意ではないのでほぼ外書購読みたいな進み方です。

今日はとりあえずAbstractとIntroductionをL君の訳を見ながら検討しました。その時のノートとそこでした話を記録して公開したら結構価値があるんじゃないかなと急激に思い立ったので書いてみます。ちなみにこの急激にという副詞はうちの妻がよく使うんですけど、この語感の激しさと動作のイメージが一致しない使い方するので面白いんですよね。急激に飽きたとか。急激に本読み始めたねとか。急激に資格取ることにしたよとかね。この面白さ共感してくれる人いないですかねえ。

閑話休題

そんなわけで今日は創造性とコントロールのジレンマって何って話にフォーカスして書きます。ところで、このジレンマってL君によると中国語では困境や両難と訳されるらしいです。両難ってなんかいいですよね。

続きを読む

post

創造性の不一致問題

この放置系サイト、いつも気になっている。記事を書かなくてはいけないという謎の強迫観念にかられ、時々このワードプレスの記事投稿画面を開くのだが、だいたいそういう時はタイピングが捗らない。一方で、ブログのことなんて忘れてぼさっと日々を過ごしていると、突然記事になりそうなネタに出会ったりする。しかし、タイピングをしたりスマホで投稿したりという行動が引き出せない。要するにこれはタイミングの問題なのである。ブログを書くモチベーションが高い時とネタが浮かぶ時とが一致しない。創造性というのは、アイデアを具体化して初めて発揮されるのだ。アイデアだけでもダメだし、作業のモチベーションだけでもダメなのだ。では、どうやってこれを一致させたらいいのだろう。

 

 

複雑に絡み合う意図やモチベーションをどうコントロールするべきか?

先日,コントロール(目標に向かって組織を動かすこと)方法について二つに分けて考えることができるって話をしたので,ここにメモを置いておきます。

 

コントロールの発想としてcoercive control(強いる)とenabling control(可能にする)の二つがあります。

これは機械システムのデザインに関する考え方を経営システムに援用しようとする発想です。

以下,ツイッター貼り付け。

 

 

なお,もちろん組織においてコントロールの対象は広範なので,全体としてみればこれらの型は相互排他的なものでもありません。ある側面はcoerciveで,ある側面はenablingであるということがあり得ます。

ただ複雑な状況になっていたり人に依存する部分が大きいときには,全てをルールで規定することができない(プログラミングできない)ことや,できたとしてもその通り動かないことが多いでしょう。そうすると,結局のところ参加者に依存する部分が多くなってしまいます。

ガバナンスの問題がホットになっておりますが,旧来型の守るべきものとしてのシステムではどうもうまくいかないようですので,enablingな方法を考えていかないといけないなと思うわけです。

一方で,enabling型はある意味性善説に依存しており,ややもすれば,フリーライディングな人や悪人を排除できないという危険性もあるので,そこも検討していかなくてはならないだろうと思います。