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創造性のコスト

大学院の管理会計論では、今Grabner and Speckbacher(2016)on AOSを読んでおります。タイトルはCost of Creativityというものでタイトルからして面白いのです。創造性とコントロールのジレンマについてアンケート調査して考えてみたよって論文ですな。

読んでおりますと言っても、受講者は中国からの留学生一人(L君)で英語は苦手かつ日本語もあまり得意ではないのでほぼ外書購読みたいな進み方です。

今日はとりあえずAbstractとIntroductionをL君の訳を見ながら検討しました。その時のノートとそこでした話を記録して公開したら結構価値があるんじゃないかなと急激に思い立ったので書いてみます。ちなみにこの急激にという副詞はうちの妻がよく使うんですけど、この語感の激しさと動作のイメージが一致しない使い方するので面白いんですよね。急激に飽きたとか。急激に本読み始めたねとか。急激に資格取ることにしたよとかね。この面白さ共感してくれる人いないですかねえ。

閑話休題

そんなわけで今日は創造性とコントロールのジレンマって何って話にフォーカスして書きます。ところで、このジレンマってL君によると中国語では困境や両難と訳されるらしいです。両難ってなんかいいですよね。

ジレンマというのはこっちを立てれば向こうが立たずという問題ですな。この組織における創造的な生産活動においてジレンマが存在するというのは以下のようなものです。

  1. 創造的な生産活動は管理制度が必要である
  2. 自由こそが個人の創造性には重要である

まあいってしまえば、締切や義務がなければ学者は論文を書かない割に、自由な時間と思考が素晴らしいアイデアをもたらして論文が生まれるのだと言う矛盾に近いお話でしょうか。組織じゃないのでちょっと違いますが言いたかったんです。冗談は置いておいて、世間的にもまことしやかに言われるこの「管理は少なく=自由度が高い」中で内発的動機付け(好きだからやりたいというような自身からくる動機)に基づいて自主性を持ってやることこそが高い創造性を促すのだという言説聞いたことがあると思います。

実際、先行研究ではこのあたり研究されておりまして、確かに自主性や内発的動機付けが個人の創造性を引き出し、組織としての創造的な生産を促進するというような結果が出ています(Amabile, 1983, 1988など)。

しかし面白いことに逆に個人の内発的動機付けを頼りに創造性を発揮することが重要な組織ほど、従業員が個人主義に走るため組織内の調整がおろそかになり、結局管理が必要になるということもまた先行研究で言われているのです(Caves, 2000など)。

集団でものづくりをした経験がある人はわかると思うんですが、それぞれの創造性が発揮されることと、それを集団として一つのものにまとめあげるということには距離があるんですよね。例えば、一人が素晴らしい仕事をしてもそれが成果物に反映されるかと言われるとそうではないわけです。

つまり組織における成果物の創造には二つの段階があるのです。一つは個々人から生まれる原初的なアイデア、そしてメンバー間での相互作用や調整の結果出来上がる具現化された成果物。この前提に立って、個人の創造性を発揮してもらいつつ、組織的な調整やコラボレーションを促進して創造的な成果物を生み出すにはどういう制度設計がええん?というのが今回読んでる論文のメインテーマなんですね。

面白いですなあ。皆さんはこの問題にどう対応しますか?

というわけで大学院はこの辺まで議論して翌週に続きました。興味ある人がいれば連載していこうと思いますです。

ps. ホワイトボードの写真をアイキャッチにして、そこに書いてある話(こういう議論の前提として勉強しておいたほうがいいこと講座)を書こうと思っていたのに論文のテーマ紹介みたいになってしまいました。しもた。

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