複雑に絡み合う意図やモチベーションをどうコントロールするべきか?

先日,コントロール(目標に向かって組織を動かすこと)方法について二つに分けて考えることができるって話をしたので,ここにメモを置いておきます。

 

コントロールの発想としてcoercive control(強いる)とenabling control(可能にする)の二つがあります。

これは機械システムのデザインに関する考え方を経営システムに援用しようとする発想です。

以下,ツイッター貼り付け。

 

 

なお,もちろん組織においてコントロールの対象は広範なので,全体としてみればこれらの型は相互排他的なものでもありません。ある側面はcoerciveで,ある側面はenablingであるということがあり得ます。

ただ複雑な状況になっていたり人に依存する部分が大きいときには,全てをルールで規定することができない(プログラミングできない)ことや,できたとしてもその通り動かないことが多いでしょう。そうすると,結局のところ参加者に依存する部分が多くなってしまいます。

ガバナンスの問題がホットになっておりますが,旧来型の守るべきものとしてのシステムではどうもうまくいかないようですので,enablingな方法を考えていかないといけないなと思うわけです。

一方で,enabling型はある意味性善説に依存しており,ややもすれば,フリーライディングな人や悪人を排除できないという危険性もあるので,そこも検討していかなくてはならないだろうと思います。

費用と原価とその違い。

費用センターと原価センターの違いって…
櫻井先生の管理会計論第5版には
「費用センターは,インプットの要素である費用は貨幣額で測定されるものの,そのアウトプットは貨幣で測定されることのない,原価センターの一種である(p.50)」
と書いてあるのだけど
費用は非原価まで含む広い概念だから
原価センターより費用センターの方が責任の幅は広いので,費用センターの一種が原価センターなのではないのだろか。

つまり費用センターといった場合は非原価にまで責任を持つ単位である。
そして原価センターといった場合はあくまでも原価にのみ責任を持つ単位である。

だから,費用センターの方が広い概念なはず。
とか重箱の隅をつつきながら考えていたら…

というか,原価センターだろうと費用センターの違いはアウトプットとの関係で業績を貨幣的に測れるかどうかだと思うのだけど
生産性を上げるという意味においては貨幣的に表現する必要もないと思うので,結局両者を区別して考える必要はあまりないのじゃないだろうか。
って思うのだけど,責任会計論の専門家の方おしえてつかーさい。
てか
Anthony and Govindarajan(1998)を読み直せってことやな。