2014年度版ゼミ論集発刊に寄せて(転載)

気づけば一ヶ月以上更新していませんでした。いかんいかん。

そんなわけでようやく完成したゼミ論集に寄せた文章を転載しておきます。せっかくなんで。多少推敲してあります。

今回は「知る」ことの重要性を書いてみました。近年インターネットという強力なツールのおかげで知っていることの重要性が軽視されているような気がしていました。何か大きなショックがあったときに冷静に情報を入れて対応できるかと言われるとそうでもないし,その場の知識で対応してしまいます。さらにいえばネットによって間違ったあるいは極端な情報を集めて判断を狂わせてくるような印象さえあるようにこの一年で実感させられました。

個人的にも知ることよりも考えることの重要性をここ数年は強調してきましたけど,やはり何事もバランスが大事ですね。そんなわけで今回は「知る」がテーマでした。

——-以下 本文——–

私は2014年度を通して,「知る」ということの重要性を再度実感しました。自分たちが生きている世界は狭いし,自分の世界の中でしか物事を見ていないということを嫌という程感じさせられた一年だったからです。ISILの問題や,ヘイトスピーチ問題,経済と文化の関係など考える材料に豊富な年でした。例えば2年生の創業体験プログラムでは,飲食店の営業活動における柔軟な対応とハラールの問題とのコンフリクトを感じました。そして今まさにISILが大変問題になっていますが,そこから派生してイスラム教徒に対する偏見による迫害や暴言などをはく残念な人たちが日本にもいるそうです。少しものを知っていればそのような暴挙に及ぶことは考えられません。しかし情報が気楽に発信できる今,自分の触れられる視点だけが強化されて極端な意見を持つようになってしまうという現象があるようです(これはサイバーカスケードというそうです)。

私たちは知らないうちに,耳障りのいい情報だけに触れてしまい,気づけば偏見の塊になってしまっていないでしょうか。偏見まで行かずとも,そのような無理解が大きな世論を形成し知らずすらずの差別を生んでいたりしませんか。そうならないためには知ろうとすることが重要ですし,その上で流れてきた情報を無批判に受け入れるのではなく常にその正しさを検証しながらインプットしていくことが求められる時代なのでしょう。

「知る」という点からもう一つ考えたことがあります。それは自分の好きなこと,やりたいことを仕事にするべきかどうかという議論についてです。結論から言うと,そんなことはそもそも議論しても意味がないということだと思います。それはなぜかというと,好きかどうか,やりたいかどうかというのは,その対象を知って初めて可能だからです。

そして一方では,仕事とは何かという問題があります。公認会計士,公務員,経理,営業,デスクワークというような類の答えを出しがちですが,それは職業や職種の分類であって仕事ではありません。誰かに必要とされていることをするのが仕事です。その誰かの集合が社会です。社会に役立つ仕事をするとよく言いますが,仕事はそもそも社会の誰かに必要とされていることなのです。

就職活動中の3年生は悩む時期かもしれませんが,たかだか20年と少しの人生で残りの人生をかけるほど好きなことがある,やりたいことがあるなんて珍しいことでしょう。そうすると自分はどんな仕事をするべきか,違った視点で考えるために社会の仕組みをある程度知らないといけません。自分が必要とされることを探して,あるいは必要とされるように努力してみましょう。

皆さんは,大学では商学を学んでいます。商売の全体像から個別の事象まで専門的に学ぶことでしょう。そこに仕事とは何かが隠されているはずです。今年度取り組んだビジネスモデルという考え方も収益の流れと価値の流れがを考える枠組みでした。そういうことを考えるのに最適かもしれませんね。

長くなりましたが,今回は『知る』をテーマに書いてみました。皆さんは大学生活に限らず人生において,『知る』ことにもっともっと取り組んでいってほしいと思います。最後にフランスの哲学者パスカルの有名な文を二つ引用してみんなへの手向けとします。

 

広く浅くもいいんやで

 一つの事柄について全てを知るよりも、全ての事柄について何らかのことを知るほうがずっとよい。知識の多面性が最上である

考えなきゃ生きていない(人間は考える葦である)

 人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、 宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが 満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。

〜パスカル,『パンセ』より(前田陽一・由木康訳 1973年 中央公論社)

 

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