PBLと座学。

たまには運営しているゼミでの運営ノウハウについて書いてみようと思います。私のプロジェクトベースドラーニング(PBL)に対する考え方です。

PBLは,実践しながら課題を見つけ解決するプロセスの中で学ぶという考え方の学習方法です。座学では身につかない部分,理論だけでは理解できない部分を学習するために開発された手法です。

私のゼミでは専門書(?)の輪読とは別に学生が独自に立ち上げたプロジェクトに取り組んでもらってその取り組みを題材に既存理論の適用可能性や運営方法の模索などを議論して学ぶという方法でPBLを取り入れています。

ただしその題材自体はこちらから提示するでもないし,各自の取り組みで成し遂げたレベル自体を評価するわけでもありません。もちろんご意見番的にそれって面白いのとか,それで本当に満足なのとか煽りはするのだけど。これは私の師匠がゼミ生の中からケーススタディを募って,ケースになりそうなものがあればそれを題材にゼミ運営をしていたスタイルの強引な真似だったりします。

ただ,いつも自分自身はこの運営方法に対してどうしていくべきか迷っています。プロジェクトを通して学ぶことがあるということ自体には自信を持ってイエスと言えるのだけど,果たしてこのやり方って問題ないのかと言われると自信がありません。

というのも事前に同意はあるとはいえ,半ば強制的に「なんか」やれって言われるわけで。そういうモチベーションで始めたものがどういう形に収まっていくかは想像すれば恐ろしい話です。しかもいろんなところに大なり小なり,良かれ悪かれ影響を与えながら。

まあ影響がどうこうって話なら学生に起業したらどうかって煽るのと同じことなのかもしれない。学生が明らかに大きい社会的な問題を起こしそうでない限り,彼らの取り組みに強引に口を挟みを縛る権利はないのだ。かといって,題材として提供してもらっている以上,おれは関係無いとも言えない。非常に微妙な立場なのであり,そこが悩みどころでもある。

そういう不安を低減させるために3つぐらいの方法を使っています。

  1. 自分たち自身の取り組みであるという認識を持ってもらうこと
    胸を張って自分たちが立ち上げ主体的に取り組んでいると言えるようなプロジェクトをお願いしています。そのために私は取り組み自体に手を出しません。逆に言えばゼミの名を冠してやるものではないし手も出さないので責任を持てないという私の逃げでもあるのだけど。いや,そもそも大学生は大人なのだから,余分な権威付けはむしろないほうがいいのかもしれないですね。
  2. 社会的な意義を常に考えてもらうこと
    結局多かれ少なかれ周りに影響を与えるのだから,社会的な意義を主張出来るようにしてもらっています。そのために物事の社会的な意義をどう考えていくのかということを学ぶ時間をゼミでの座学で取っています。経営学を勉強していれば自ずとそういうことを考えることになるわけだけど,それについては別稿で。そしてこれは1を実現するために必要なプロセスで表裏一体だと考えています。
  3. 座学をシビアに行うこと
    取り組みの成果は,本人の経験と能力そして知識にかなりの部分影響されると思います。いくら取り組みの成果を評価したりしないとはいえ、できることなら本人たちには満足いく結果を出して欲しいわけです。だからそのために先人が築き上げてきた知見を目一杯活用してもらいたい。そのためにインプットをがんばってやっています。それにこれは2とも関係するから外せません。

すごく大雑把で概念的な方法論だけど,この3つを常に意識して運営しています。この3つがあることで,自ら考え進める経験,自分(の取り組み)と他者と関係性,理論と実践の距離感,そして理論そのものを学んでいくことができるはず。しかし,実際やっていて一番難しいのは3だったりするから大変です。理論と実践の距離感をいかに詰めるかってのが難しいし,そもそも専門書をどこまで理解できるかという部分も難しい。とりあえず先人の知恵を学ぶ重要性とその方法に気づいてくれれば御の字だと思って取り組んでいます。

さてここまで書いて思ったけど,座学とPBLとは鶏と卵のような関係だなあ。座学では足りないから学習効果を上げるためにPBLを取り入れるけど,結局座学をきちんとやらないとPBLにならない。その両輪がガチっとはまったとき,時は動き出す・・・!のかもしれませんね。

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