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AIと人間を分かつナンセンス(ゼミ論集の原稿)

  2016年度はどんな年だったか、思い直してみるとテクノロジーの進化が身近に現れて話題になった年であったと感じます。昔から一部では話題になっていたものの、ポケモンGOやPSVRなど一般消費者が身近に感じられるレベルまで、ついに拡張現実(AR)や仮想現実(VR)の世界がやってきました。また、AIが将棋でプロ棋士に勝ったり、センター試験で平均点を上回るほどの得点をとったりと目覚ましい成果をあげていることが話題になりました。さて今回はそういうテクノロジーに関する話でも書きます。

 とはいえ、まずは馴染みがない人のためにイメージがつきやすくなるようなSF関連のコンテンツを紹介しておきます。ARやVRといえば真っ先に思い出すのは川原礫のライトノベル『ソードアートオンライン』シリーズでしょうか。小説版の最新シリーズ(アリシゼーション)では仮想世界の生活と人工知能がテーマになっておりもはや一大SFです。そもそも仮想世界に閉じ込められたらどうするか、そこから抜け出した後の人生と仮想世界での生活はどっちがリアルなのかという哲学的なテーマな上に、仮想世界におけるAIは人間たり得るのか、そんなテーマはSF好きにはたまりません。また現実を疑える映画でいえば、『マトリクス』シリーズや『インセプション』などもオススメですね。AI関連でいうと、映画『アンドリューNDR114』やハーレージョエルオスメント君が綺麗だった頃の『AI』は鉄板です。同じように人間とAIあるいはロボットの違いがテーマの最近の映画ならニール・ブロムカンプ監督の『チャッピー』とかジョニーデップ主演の『トランセンデンス』もオススメです。

 これじゃあ私自身がSF好きということしか伝わりませんね。ではこの話は商学部で社会科学を扱う我々はどう考えていけばいいんでしょうか。重要なのはそのようなテクノロジーとどう付き合っていくかということです。例えば今の段階で、人間とAIとを分かつ一番のポイントは目的を作れるかどうかということでしょう。目的を持たないロボットは意味をなさないのです。博多のコマーシャルモールで一人たたずむペッパー君の切なさを思い出してください。そして社会の多くの経済活動は目的の元に営まれています。その目的は誰かが作った目的なのです。逆にいえば目的さえあればテクノロジーは我々の代わりに働いてくれるということです。一人ではできなかったことができるようになったりするのです。皆さんには目的を持って生きろなんて無粋なことを言うつもりはありません。しかし、我々人間は常に自らの意思を持って動いているのです。何も考えず公園を散歩したり、家で一人じっとしていたりしていようとそこにはそれを選んだ自分自身がいるのだということです。そしてそれこそが人間である証なのです。それは忘れないでほしいと思います。それを覚えていればきっとテクノロジーとうまく付き合いながら楽しい人生が送れるはずです。

 もしもAIが目的も作れるようになったらどうするかって?そうなったらもはや人間と変わらないのだから共に仲良く暮らしていけばいいのです。ここまで書いてきた私が実はAIかもしれません。仮にそうだったとしてみなさんの中で何が変わるでしょうか。

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