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回転寿司で考え込んでしまった埋没原価

 

埋没原価という言葉をご存知だろうか。投資意思決定を行う際にはこの概念をよく理解しておくことが非常に重要である。何故ならば、埋没原価をきちんと切り分けることができないと、投資による適切な将来利益の評価ができないからである。

さて、この埋没原価の教科書的な定義をまずは書いておこう。

特定の意思決定によって全く影響を受けない原価は無関連原価(irrelevant cost)であり、埋没原価(sunk cost)といわれる。
岡本清『原価計算』p. 716

例えば、ある男はラーメンが食べたい。そのためにラーメン屋に行かなくてはならない。この移動にかかるバス代200円、そして仮にチャーシューメンを食べるなら750円、いや餃子セットも捨てがたい850円。困ったぞ。どちらを食べるべきか、選択の時である。選択をするためには費用を比べたりもする。この場合、餃子セットを食べようがチャーシューメンを食べようがバス代は200円かかる。更に言えば、どちらも基本のラーメン代である600円が含まれている。どちらを選択してもかかる費用である。これは意思決定に影響を受けない。したがって埋没原価が800円であり、これは比較検討の際には除外して考えなくてはならない。

代替案の比較としてはこう考えるのである。

チャーシューの追加200円vs餃子セット追加250円

仮に埋没原価を除外せずに下のような比較をしてはいけないのである。

移動費も含めるとチャーシューメンを食べるには950円かかって餃子セットを食べるには1050円かかる。1000円超えるのは気分が悪いので餃子セットはやめよう。これはもはや原価比較ではないのである。もちろん意思決定としてはありだろうが、そこで働く論理は代替案の比較ではなく予算によるキャップである。

ところで、将来収益というのは本質的には予測不能である。この例でいくとチャーシューと餃子どちらが男により大きな効用を与えるかわからない。ここからが悩みのスタートなのである。

この前家族で回転寿司を食べに行った時、つい考え込んでしまった。つまりこうだ。

回転台のカーブを曲がって目に飛び込んでくる艶やかな中トロ。油と赤身のバランスが絶妙だ。しかしすでに中トロは食べた。しかし、うまそうだ。今再び自分の目の前に現れた中とろを取るべきか取らざるべきかそれが問題だ。

この際、中とろを食べたという現実は埋没原価なのである。今考えるべきは、これから中トロを再び食べた場合に満足できるかどうかなのである。しかし、よく考えてみると、二度目の中トロは果たして同じ効用をもたらすだろうか。舌が慣れてしまって1度目ほどの感動は得られないかもしれない、あるいは摂取した油が許容量を超えて不快になるかもしれない。だとしたら、同じ金額のエンガワを選んだ方がいいのではないだろうか。これは明らかに過去の意思決定によって影響を受けてしまっている。

もちろん埋没原価の考え方はシンプルに考えるために役に立つ。しかし埋没原価の考え方は、一度きりの意思決定(非反復的意思決定)を想定している。世の中の経済活動に永続企業や長生きする人間がプレイヤーとして関わる限り、完全な非反復的意思決定よりも連綿と続く意思決定の方が圧倒的に多いのである。

要するに意思決定には収益側を考慮しなくてはいけないし、そうなった瞬間にもはや適切に埋没原価を切り出して考えるということは困難なのかもしれない。これは収益に何が繋がるか、どの原価が繋がるかということが関連してくる。どちらの選択肢にせよかかる費用だけれども、もたらす効用は選択肢によって違うなどとということもありうるのだ。UXと原価なんて考えてみるとこの問題にぶち当たるに違いない。これは勘だ。

なんか話が壮大になったが、黙って中トロもエンガワも頬張り、ビールを飲むのがいちばんの幸せなのである。短期的にはな。

 

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